2008年1月 3日 (木)

なんで正月3日にローマ1000年史?

何故、みのもんたさんを司会に迎えて、平成20年の最初に「ローマ1000年史」を放送するのか?
それが暗示することの方が大事だという気がする。

新年、あけましておめでとうございます。
物事には、かならず裏がある。「ローマ1000年史」に普通はスポンサーがつなかいだろう。これが、立派に放送されていることの裏側に、何かの意思があると考える。考えすぎならそれでよし。二三日考えてみよう。

|

2007年11月23日 (金)

人は平和な社会でしか未来を目指すことができない。

暴力と死が世の中を支配したころ、人々は今日と明日のことしか考えられず、学ぶ気持ちも将来の夢も持ち得なかった。人は平和な社会でしか未来を目指すことができない。
この意見に、反論してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月17日 (水)

研究授業だ

大きな学校は、ただでさえ忙しいので、研究授業をすることさえ難しい。
しかし、「研究授業」という特別な場に出てこそ、指導力は大きく伸びるものだろう。
だから、義務でさせられるのを待つのではなく、自分から研究授業を申し出た。10月29日(月)に、道徳の授業をやる。まだ10日以上先の話だが、指導案はすでに完成して、全職員に配布した。あとは指示発問過程(授業過程ともいう)を練って、練習するだけだ。

研究授業、もしくは公開授業をしないと、教える技能が伸びて行かない。教員は年々成長し、その成果を授業の中に織り込んで、生徒の成長により多く関与しなくてはいけない。

去年は10月に研究授業を4つ入れて、4つ目で腹に穴が開いて入院した。安全のため、今年はせいぜい2つにしておく。ストップウォッチを20個使う古典の授業や、50分で上達を確認できる書写、OHPで目から鱗の授業など、ぼくはいくつでも研究授業をできるが、大規模校で全部はできない。

ひとつ気がかりは、大勢の先生を参観させ、授業研究の時間まで取り、研修の実をあげることができない場合である。そうはさせない積もりでも、ぼくがつまらん授業をしたら、参観の先生方の時間を奪うばかりで、研修にはならない。初任者研修ならそれでもいい。しかし、ぼくは12年目だ。きちんと提案のある授業をしなくてはいけない。
それはプレッシャーだが、どうにか受け流して、あるいは乗り越えてこの研究授業をやり遂げたい。

|

国語教室は理科室のおまけ

最近、ブログにばかりアクセスが増えた。もともと、「かっきぃの国語教室」は、本体である「かっきぃの理科室」を簡単に更新できない不自由さを補うために作ったもので、やはり本家はホームページなのだ。
http://homepage2.nifty.com/kakkixi
これが本家のURL。掲示板の中で「いたらん」こと書く人がおったので掲示板を切り、メールは悪用されて「いたらん」メールが押し寄せたので切り、去年ウイルスにやられてJPEG画像と動画をすべて失って、今のようすになっている。ホームページを維持するのは、なかなか大変です。

JPEG画像がすべて壊れたあと、1つだけ絶対復活させなくてはいけないと思ったのは、「しし座流星群の夜」。
2秒に1つ以上の明るい流星が飛んだ日の感激は、どうしても他の人に伝えたい。
ネガを探したが、なかなか見つけることができず、しかし、つい先日見つけた。再度スキャンして、近日アップロードし直す。

ホームページ本体には、国語プリントをダウンロードできるリンクをつけてある。こっちも近いうちに新しいプリントのデータを加えて新しくしたいと思っています。

|

2007年9月24日 (月)

奈留に里帰り

5年居った島の体育大会におじゃました。朝8時10分に着く船で、まっすぐ学校に行って、おそるおそるグラウンド側をのぞくと、なつかしい顔に次々と会った。心の準備をしていなかったので戸惑った。
そうだ、生徒の名前を復習していない。おれの記憶力は、あやしい。
出たとこ勝負である。「さて、わたしは誰でしょう?」
早ければ瞬時に思い出す。遅いと30分かかる。ごめんね、すぐ思い出せなくて。

70(/200)人くらいはわかったけど、あとは会えていない。○○くんといもうとの名は、なんだったっけか?もともとファーストネームで呼んでいなかった生徒についても、ここには書けなかった。

こうして、人の姿形と名前を結びつける記憶を問われると、経験(うれしい経験)=エピソード=回想回数が、人の記憶においてたいへん重要なのだとわかる。
弟のかばんを、間違えて高校に持って行った姉の事件について、記憶は明瞭である。どう考えても勝てそうにない9点差の試合をひっくり返したドライブサーブも目が覚えている。流れる汗も気にせず、一心不乱にぞうきんがけする少女の記憶も深く刻まれている。修学旅行の風呂場で、浴槽に回転をつけてわざとおぼれる楽しい体験も忘れない。
「経験は忘れない」のである。みんないい経験をたくさんしてください。

一番うれしかったのは、カードの指示を満たしてのちゴールするという「チャンス競技」だった。生徒の一人がわたしを呼び、わたしは飛び出していって手をつなぎゴールした。

午後4時5分の船で奈留を離れ、福江には4時50分に到着、そして福江空港5時55分発の飛行機で長崎に帰った。飛行機は樺島のあたりで右に旋回したが、奈留島は窓からしばらく見えていた。浦・浦向・泊。大林・・・奈木・船廻・矢上・・・古巣・夏井・江上・大串・・・、あの島に200人余りの中・高校生がいる。
かしこうなれよ。ふとたこなれよ。そしてぼくらは、一生懸命働く人がしあわせにならるっごたる世の中にせんばいかんとです。

|

2007年9月18日 (火)

相手に合った話し方

パソコンの扱いを教える現場をさいさい見てきた。誰にもわかる教え方というのは、まだ研究されていないようで、OSはもちろん、「フォルダ」「ダブルクリック」「カーソル」などの用語はそのまま、専門用語丸出しで教えているようだ。
「記憶装置の中を、適当に仕切ってその仕切りに好みの名前をつけられますよ。動かしたい機能を表すボタンを素早く二回、矢印を当てて押せばいいんですよ。」
こんな教え方がわかりやすくて、一昔前のぼくは売り上げこそ良くないものの、お客さんに喜んでもらえた。
現代のパソコン関連営業職の人は、難しくも易しくも教えられる分厚い知識と話し方を身につけないといけない。

それができれば、18歳ちょっとでもパソコン関連営業職のはしくれになることができると思うのだが、ここで必要な能力を、国語の世界で考えてみよう。
1に「翻訳力」だ。難解な用語をそのまま理解してくれるユーザーは今でもまだ多くない。ユーザーは建築とか土木、経理やデータ解析の専門家だったり、ただの素人だったりするが、パソコン用語の専門家ではない。難しいことばをそのまま説明に使ってもすんなりわからない。わからなさは不信につながり、知らぬ間にお客が減ってしまう。
「翻訳力」は、易しく言い換える力だ。辞書を引いたままの意味ではまだストレートに伝わらないので、さらに易しく言い換えるのだ。「矛盾」=つじつまがあわないこと=言ったこととしたことが一致しなくておかしいようす=遅刻するなといった先生が、遅れてくるのを見て、言行不一致だと思う。
必要なのは語彙力(ボキャブラリー)である。これは、根性があれば身につく。出会ったことばを縦横無尽に使ってみて、時には誤りもして、すっかり身につければいい。
あとは、ことばを介した人間関係を作る力=コミュニケーション=意思疎通力
だろう。聞いてもわかったのかかわからないのか態度に出さない人には、いつまでも初心者用の説明が続く。わかったのなら、わかったことを伝えなくてはならない。「わかりました。」を言えば話は次の段階に進む。「わからない」と言えば、さらにわかるように説明が繰り返される。結果として、最短時間で多くのことがわかる。
教える側にも、「意思表示」が根本にある。「この商品の説明をします。使うための最小限の説明ですが、これだけで充分にこの製品の性能を生かして使いこなすことができます。」
(中略)
「以上のように、この製品は正しく使えば御社の業務を効率的にします。これまでの不便は大幅に緩和されますよ。」
何の説明をするのか、聞く値打ちがどれだけあるのかを示し、わかった人に説明する。最後に効果を話す。聞く値打ちをあらかじめ示すことで、その業務を知らなくてもいい人の意識を外すことができるし、効果を話すことで決して安くはない製品の導入担当者の「めんつ」も保てる。
教える立場からいうと、相手のようすを自分のことばに生かすことだ。知らない人との会話は、良い訓練になる。精一杯の思いやりと好奇心で聞いて、そのことばに応じて自分のことばを出せばいい。
これも失敗はある。だが、若い人の失敗は、笑い話にされるかもしれないが、本気で責任追及されることはない。(もしも責任を言い出す会社があったなら、それは長続きしない会社だから、考え直して良い。)

僕たちは、国語で商売する。国語で勉強する。国語で愛のことばを伝える。国語は、世界の真実を伝える。
国語は、実はすべてを教えることができる。一番生きる力になる教科なので、再認識して改めて勉強しましょう。

|

2007年8月31日 (金)

韓国に行った

お盆も学校に行って、忙しいとできないこと、いろいろしていた。ぼくの本当の夏休みは、8月23日に始まる。

8月24日の10:15博多港発のJRビートル(長崎港から五島に行ってるジェットフォイルと同じ高速船)で、韓国の釜山港に渡った。目的は鉄道で旅をして、車窓から新鮮な異国の風景を見て、退屈することである。退屈するって、それはすごく贅沢なことです。普段忙しくしていると、「退屈」の大切さとか、ひょっとして創造的な仕事をするために、必要なことじゃないのか? ということを思います。

日本にもあるけど、韓国にも鉄道やバスの時刻表があります。着いてすぐ、駅の売店などで探したけれども見つからず、仕方ないのでいきなり釜山駅で、あてずっぽに切符を買いました。
「ドンテグ(東大邸)、ハンジャン、ジュセヨ」
相手は切符を売るのが仕事です。ちゃんと言えば切符くらい簡単に買えます。
14:53発の榮州(yeongju)行きで出発しました。到着は16:33です。
それから、韓国の南部地方の東側を、ずっと鉄道乗り歩きです。有名観光地と言えば慶州(キョンジュ)ですが、ここも切符を買い直すために降りただけで、ただ車窓を楽しむ旅でした。

【旅の話題3つ】
1 散髪をした。列車の待ち時間が70分あった榮州で、陽気なアメリカ人のふりして、「Please cut my hair, like a Korean army! Yes, Yes, very short!」と言ったら切ってくれた。9000ウォンだったので、1200円ぐらいかな? いきなりバリカンで鬢(びん)を削り、後頭部を削ってから、はさみでちょっとずつカット。ひげそりは蒸しタオルなしで、洗髪は水道水だったけど、うでは良かったね。全然いたくなかったから。 床屋はあの渦巻きが目印だけど、どの店も店内が外からは見えないようになっていたので、飛び込むのには勇気が必要だった。
2 韓国の料理の名前をほとんど知らなかったので、「ビビンバ」ばかり食べていた。その後、少し賢くなって、「トルソッ ビビンバッ」と言ったら、石焼きビビンバになったので、食べやすくなった。最後は違うものが食べたくなって、思いつきで「カルビ! タンッ」と言ったら、牛肉スープが出てきてうれしかった。(韓国では普通、キムチと味噌汁は自動的に出てくる。「プルコギ(焼き肉)」のようにおかずになるものなら、自動的にご飯も出てくる。出されたら全部食べないといけないと思うから、必死で全部食べた。最初は朝昼晩ぜんぶビビンバで、キムチを全部食べたから、食べるのがつらくなった。でも、空腹に勝てず、翌朝も「トルソ・ビビンバ」・・。
3 車は全部左ハンドル、右側通行で、車線変更がものすごく強引だった。タクシーに乗るのも右側からで、行き先はちゃんと韓国語で言わないとわかってもらえない。英語も日本語も、まずほとんど通じないのがこまった。

おみやげはありません。鉄道が遅れて、帰りの船の時間にぎりぎりだったからです。

|

2007年5月24日 (木)

生き方は姿に出る

 高校球児が甲子園に火花散らす季節です。今日は、長崎日大、勝ってよかった。浦田くん、いい顔ですね。一生懸命なその顔が、りりしくていい。
生き方は姿に出る。きちんと、全力で生きている人の顔は、自然とりりしくなるのでしょう。明日のための今日、来年のための今年、なんかよくわからんけど、明日につながる今日を力一杯生きている人は「かっこいい」。
男の顔は、12~3歳では子供っぽくて頼りない。でも、部活とか勉強に一生懸命な14歳~18歳を生きた人の顔は、大きく変貌する。かっこよくなる。
みんな、がんばるんだよ。40過ぎると、そう簡単に顔は変わらん。
久しぶり、インターネットが復旧したので、とりあえず1つ書き込みました。

「s・m・a・r・t」の警告が出ています。もうこのHDDは幾らも寿命がない。買って8ヶ月、そう過酷な使い方してないのに、こんなですから、またしばらく書き込めないかも知れません。

女の子の顔だって、中・高で力一杯、部活や勉強に生きた人は、りりしくなる。がんばるとよ。

|

世の中がつまらないんだって

教育相談のアンケートで、生徒の20%が、世の中がつまらない、と答えていた。
わたしはこう思う。与えられた生活はつまらないものだよ。与えられた幸せはそうありがたくない。
今では大昔になってしまったけれども、わたしは高校に入学した時、祖父から腕時計を買ってもらった。初めて腕につける時計は、「一歩大人になったんだ」、その印として誇らしかったけれども、わたしはその時計を5月にはもうなくしていた。
所詮(しょせん)、与えられたものだ。わたしはその腕時計のために、何の努力もしていない。
一方、わたしはネクタイにはうるさい。必ず三色づかいでなくてはならない。幾何学模様は嫌いで、日本の山水を彷彿(ほうふつ)とさせ潤いのある柄(がら)を好む。そういうネクタイは滅多に店頭になく、今持っている3本はどれも奇跡的にわたしの目にとまった品である。(茶系統のスーツに合う1本は、今から14年前の渋谷で、偶然出会ったもの。その後、自分の趣味に合うネクタイと偶然であったことはない。当時つきあいのあったデザイナーに、品がいいとほめていただいた。あとの2本は、12年前に京都の西陣まで探しに行って、小さい呉服屋で見つけたもの。本当はもっと買っておきたかったけれども、高くて2本しか買えなかった。紺系統のスーツに似合う。)
このように、自分で手に入れた品には愛着が増し、今では決して手放せない。自分で手に入れた幸せは、与えられたものの1000倍も愛しく、大切なものだ。
自分で努力して得た生活は、つまらなくない。心底たのしめて、喜びいっぱい夢いっぱいなのだ。
わたしは中学3年生に訴えたい。自分の学校生活を自ら努力して勝ち取れ。つまらないのは、してもらうばかりで努力していないからだ。父母に、祖母祖父に、知人友人に、弟妹に、価値あることをしてあげて、奉仕できる自分を自分でほめろ。そうすれば、今つまらない学校生活が輝いてくる。
来年の今頃、君らはどうしているか? 自分の努力で自分の望む生活を手に入れていたら、つまらないことはない。楽しく誇らしくおもしろい生活ができるのではないか?
今をがんばれ。近い未来が応えてくれる。

なりゆきに流された生活は楽しくない。いつも時間がない、時間が足りないとぼやいている人、聞きなさい。
「時間は貯金できる。」
【前倒し】というすばらしい技があるじゃないか!
明日やらなければならない仕事に、今日のうちから手をつけておく。全部やらなくてもいい。少しでもやっておけば、今日の余剰時間を明日の過密時間に回せる。
それが「時間を貯金する」ということ。できる人は賢い! 先々の見通しがないとできないし、仕事が遅いと【後回し】を重ねてせっぱつまる。

中学校では、早くしないか急ぎなさいと叱られるけれども、近い未来のための訓練だよ。早く仕事ができると、自分で時間を作ることができる。作った時間で自分らしい創造的な仕事ができる。他人と同じ仕事じゃつまらない。余人に代え難い己の仕事をしたいなら、義務的な仕事はがんがん時間を早めてやりましょう。

こういうことを、中学生に教えられる今を、わたしは楽しんでいます。

|

2007年4月28日 (土)

新しい任地で

奈留の5年間で、ただ1度、担任をした。2年2組、22人の学級だった。その子たちは今年、高校3年生になった。来年、3月に卒業の祝電を打つ約束をしている。この子らの進路が平坦であるように願う。
さて、4月2日に赴任して、今日までめまぐるしい日々だった。朝7時から夜8~9時まで働くのは、奈留と変わらない。労働基準法なんて、教員の世界にはないのだ。今の中学校で、教頭先生が帰宅するまで、フルタイム働いても、仕事にきりはない。担任になったので、38名の生徒に責任があり、学活だけでも相当の知恵を使わなくてはならない。
教科指導こそ、ぼくら教員の一番の仕事で、ぼくはスカッとさわやかによくわかる授業をしたいのだが、学校の事情がそれを妨げる。生徒指導のフルコースがある。時間をとられる。教材研究の時間は3分もない。それでも、奈留で修行したので、毎時ほどほどの成功を収めているが、このままではやがて破綻してしまうだろう。TOSSの効果はそこにあり、今ぼくは奈留で身につけたすべての技を、ここでとっさに出すしかない状態にある。
授業が崩れたら、おしまい。
だから、授業は全力で、持っている技のすべてを出す。
(技っていっても、たかが知れています。)
ごめんね、3分の授業研究もできない状況だと、かならずしもぼくが思う授業になっていないかも知れない。
だけど、ぼくの理想的な授業は、心地よく酔ったように知的な驚きと強い印象をもった授業だ。今はまだ、4分速読とか、アニマシオン読解とか、小手先の技で授業をしている。ぼくに時間をください。同じ「光村」の教科書で、どこまでおもしろく、国語を教えられるか挑戦したい。
TOSSは、こんな時間のない現場で、非常に役立つ技です。ぼくは、その主催者に心酔していないから、表面だけ理解して遠慮せずに模倣します。少なくともぼくは、その本を自腹で購入している。
TOSSの実践の多くは、小学校のものだから、模倣にもアレンジが必要で、その段階で模倣ではなくなる。ありがたい主張です。
今日は4月27日。月末統計とか、学級経営案の締め切りで、ぎりぎり働きましたが、し残しがあるので、明後日、学校が開くというその午前中に、必死まめたんで「庶務」を全部やってしまいたいと思います。
俺がよく働くと、自然にその生徒は幸せになる。第一希望の進路を選べるように、してやろうと思います。

|

«仕事パソコンの改造